われはロボット

われはロボット (ハヤカワ文庫 SF 535)
「ロビィ」「堂々めぐり」「われ思う、ゆえに」「野うさぎを追って」「うそつき」「迷子のロボット」「逃避」「証拠」「災厄のとき」

 古典SFを読もう第二弾。「ロビィ」だけは読んだ記憶があるのだけれど、他はたぶん初めて(もしかすると大昔に読んだかもしれないけど、きれいさっぱり忘れているから初読と同じ事だ)。
それにしてもおもしろいねえ!これ!! 前回の「白鹿亭」は、少々古くささを感じたのだけど、これは訳がいきいきとしているせいか、読んでいて古典だということを忘れた。キャラが立っているのも大きいと思う。特に、ロボット心理学の第一人者スーザン・キャルヴィンが、人間嫌いでロボットへのシンパシーを感じていて、冷静沈着だけども内に女性らしさや弱さも秘めていて、とても魅力的だった。彼女に主人公がインタビューをしていくことで、ロボットの歴史が概観できるという構成もとても好きだ。ドノバンとパウエルの掛け合いが、ドタバタコメディみたいだった。
ロビィ、スピーディ、キューティー、デイブ、ハービイ、改造ネスター、ブレーン、バイアリイ、マシンとそれぞれに主役をはるロボットたちも、あるものは健気で、あるものは憎たらしく、あるものは人知を越えて理性的で畏れすら感じられるように、みな個性的。名前は出てこなかったけれど、スピーディを呼び寄せるために使われた旧式ロボットが、ドノバンを守ろうとするところに、ちょっとぐっときてしまった。
有名なロボット三原則が、作中事件の鍵になるところは、上質なミステリーを読んでいる気分だった。ファンタジー、ホラー、ミステリーなどの周辺ジャンルをすべて取り込める懐の深さがあるのもSFの魅力だと思う。

それにしても、ほとんど最後の「証拠」で、「うんにゃ、彼はロボットです、ラニング博士」「うんにゃ、それはまったくありえない着想です、クインさん」のやりとりがあったおかげで、一気に絵柄が川原泉になってしまった。いい年した老人が「うんにゃ」ってなんだよ(笑)。

「あいつ、遊びたがっているんだ。よし、それなら遊んでやろうじゃないか!」