神戸新聞創刊110周年記念文楽特別講演「艶容女舞衣(あですがたおんなまいぎぬ)酒屋の段」「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)阿古屋琴責の段」 神戸新聞松方ホール

 存命中の人間国宝6名のうち、太夫竹本住太夫、三味線の鶴沢清治、人形の吉田蓑助、吉田文雀が出演するという豪華な舞台でした。最初に文字久太夫が出てきて、作品のあらすじと見所、聞き所を丁寧に解説してくれたのが、すっごい分かりやすかったです。一昨日見た「レッドクリフ」といい、最近は見せる側が親切ですねー。
 今回は、いつもの国立文楽劇場ではないので、字幕がありませんでした。あるとつい文字を追ってしまうので、邪魔といえば邪魔なのですが、耳で聞くだけだと意味が分からないこともあるので、なくていいよ!と言えないところがつらいです。国立文楽劇場は、映画館みたいに字幕ありとなし両方上演したらいいと思います。あと、会場のことと言えば、「酒屋の段」の有名なクドキ「今頃は、半七っつあん、どこにどうしてござろうか…」の前に「まってました!」と客席から声がかかってたのに、若干イラっとしました。でも、上演中は黙る、というのはたぶん現代のマナーなので、古典芸能を見るときは、あんまりこういうことを不愉快に思ってはいけないのかな…。
 「酒屋の段」には、住太夫と文雀が出演。今回初めて、住太夫の「いい脳波」に打ち勝ち、一睡もせずに通して聞けました。お園ちゃんの一途さが可愛かったです^^。彼女は、きっとものすごく若いんだろうなあ、と思います。たぶん、15,6歳くらい。「妻とはこういうもの」「嫁とはこういうもの」という規範を一途に守ろうとする姿がとてもいじらしいです。そして、遅くにできた(んだろう)娘を守ろうとする、宗岩の親馬鹿ッぷりもたまらなく愛おしいです。同じく、半兵衛夫婦からは、孫娘お通を可愛く思う気持ちが溢れていて、胸に迫りました。お園も、お通が夫と他の女性との間にできた子どもであるにもかかわらず、幼い子には愛情に満ちた視線を注いでいます。物語そのものは悲劇ではありますが、このシーンは、人の心の優しさ、温かさが感じられて切なくなるいいシーンでした。一方で、そういう人の世の光の部分を表す茜屋の外に、恋のために人を殺めて我が子を捨てる羽目に陥った半七たちがいるという舞台上の対比がみごとでした。
 「阿古屋琴責」には、清治と蓑助が出演。でも、琴と三味線の間は寝てました。だって、人形があまり動かなくて、ただの音楽会みたいだっ…ゲホゴホ。文字太夫が聞かせどころですよ、と教えてくれた胡弓で目を覚ましましたが、岩永がいつのまにか現れていた火鉢から火箸をとって、胡弓を弾くまねごとをしているのが面白かったです。もしかして、岩永を見てれば楽しかったんじゃ…と今頃気がついても遅い。
 私はどうやら、時代物よりも、人間の機微が繊細に描かれている世話物の方が好きなようです。現代ドラマは時代劇の方が好きなのに(笑)。チラシをたくさんもらったので、また国立文楽劇場以外の公演も見に行きたい〜。