平成20年夏休み文楽特別講演 第3部「国言詢音頭(くにことばくどきおんど)」

 チラシのあおり文句が「色と欲〜夏の夜の惨劇」ときた日には期待せざるを得ない。 
 「大川の段」はすごく短かったので、寝ずにちゃんと見られた。そして、このあと「五人斬り」という凶行に走る初右衛門に思いっきり同情した。だって、菊野も仁三郎もひどいんだもん! 地方出身の無骨な田舎者を、カゲで思いっきりコケにするシーンは、ほんと感じが悪かった。たぶん、初右衛門は空気が読めなくて調子に乗りやすい人なんだろうな、と思う。「粋(すい)」の美意識を共有している新地の人々には、そのKYなところが我慢がならないんだろうけれども、それにしたってあの悪口のいいようはない。人を見下し、馬鹿にしきって、集団で笑いものにされるのを、立ち聞きしてしまった初右衛門の悔しさは、舞台の外からでも手に取るように感じ取れた。これは、誰に感情移入するかだいぶ変わってくると思う。菊野たち新地の人々に同情する人もいるだろうし…。
 そして2幕目「五人伐の段」では、初右衛門への悪口を書いた手紙が、うっかり本人の手に渡っていたことを知って、菊野と仁三郎が青くなってから、初右衛門が刀をひっさげて桜風呂に乗り込んでくるまで居眠りターイム! おかげで、長櫃の影に隠れて難を逃れた男女が誰なのか、パンフレットを見るまで分からなかった…。でも、この演目は話の筋が追えてなくてもオールオッケーなんである。
 屈辱を味わわされた初右衛門が、自分を馬鹿にした桜風呂の人々をひとりひとり血祭りに上げていく凄惨な殺戮シーンを楽しむ演目なのだから。斬首、胴斬り、唐竹割りと舞台いっぱいに飛び散る鮮血! 臓物! バラバラになった死屍累々! えげつないシーンですが、それを行う初右衛門は終始無感動にザクザクと殺していきます。最初の菊野を拷問の末殺したあげく、はねた首に接吻するという猟奇加減がたまりません。私は、スプラッタは実写どころか、文章でもダメなのですが、文楽だと人形のせいか生々しさが緩和されて、見られてしまうんですよね。だからといって、全然怖くないわけでもなく。
 殺すたびに人間から離れて異形にものに近づいていった、鬼気迫る初右衛門が、篠突く雨の中傘を差して見得を切るラストシーンは息を呑みました。ここでは、本当に舞台に水が落ちてきて、大雨を表します。ザザァザザァという不安な雨音が不気味な余韻を残しました。
 殺しの派手さと人数は「伊勢音頭恋寝刃」の貢くんに軍配が上がりますが、殺人にいたる動機の切実さでは初右衛門も負けてはいませんでした。あー、今回も面白かった。秋はいよいよ「本朝廿四孝」奥庭狐火の段だあっ!