140ベーグル・チームの作戦

ベーグル・チームの作戦 (岩波少年文庫)
 いつも何かに夢中になっちゃうママが、こんどはぼくの野球チームの監督になっちゃった。おまけに、コーチは兄さんだって。12歳の成人式(バーミツバ)前の忙しいときに、これ以上ぼくの生活をかき回さないで欲しいよ。
 ユダヤ人というと少し特別なイメージで見てしまいますが、障害も人種も当たり前に描くカニグズバーグらしく、主人公のマークは普通のアメリカ人少年として描かれます。友だちとの関係がぎくしゃくしたり(微妙に階層社会が関わっているところもカニグズバーグ)、ちょっといいなと思える女の子に出会ったり、苦手な歌の授業にくさったり、文化がどんなに違っても、そこに描かれる心情はとてもみずみずしくて「ほんとう」です。
 マーク少年も物事をななめに見つつも、元気いっぱいの好印象を与える男の子ですが、なんと言ってもこの子のママのキャラクターが強烈です。何かあるとすぐに「台所の電気の笠」の裏にいる神様にお祈りするユーモラスなママは、女監督に文句をいう悪ガキどもを、煙に巻いて黙らせた上、しっかりと人望を勝ち得ていきます。デブで足手まといのシドニーの体重が1キロ減るごとにみんなでバンザイを唱えさせることで、みんながシドニーを好きになれたのも、シドニーがそのことに傷つかなかったのも、みんなママの人柄のおかげなんだと思います。面白くて、人情に脆くて、野球が大好き! 監督としてだけでなく、思春期の息子をもつ母親としても、子どものプライバシーについて一家言もっていたりして、本当に素敵なお母さんです。ママの考えと対照的なのが、チームメイトのバリーの家族です。裕福な人間が住む町で暮らす彼らは、知的でとてもリベラルな一家で、子どもは親になんでも話し、秘密は何もない…一見よさそうに見えますが、それは子どものプライバシーもないということ。マークのママは、身の丈にあった自由と秘密をもつことをこどもたちに許します。知識や理論ではなく、直感によって。タイプは違いますが、「おおきく振りかぶって」のモモカンに通じる上に立つ者の度量の深さをもつ、実に格好いいママなんです。
 マークは、家庭(プライベート)と野球(パブリック)が一緒になっていることの困難に悩みますが、やがてママや兄ピーターも同じように悩んでいることを察するようになります。それがとてもさりげなく描かれていて、カニグズバーグのいつもながら繊細な筆致にうならされました。
 かつての邦題は「ロールパン・チームの作戦」でしたが、ベーグルが浸透したため、原題に近く改題されました。
がっかりはしても、あきらめたりはしないようにするの。