137とぶ船 下

とぶ船〈下〉 (岩波少年文庫)
 この物語の中で最も魅力的な人物は中世イギリスに生きる貴族の姫君、マチルダでしょう。ピーターたちが最初であったとき、彼女は高慢でわがままで残酷なお姫さまに見えました。しかし、ハンフリが、持ち前の明るさで、(いささか)強引に「ぼくたちはもう友だちだ!」と宣言してから、このお姫さまの抱えるさびしさがかいま見えるようになり、ぐっと魅力的になっていきます。話し方が、この年頃にしてはかしこまっていて、そこがまた可愛いんですよね。
 ピーターたちは、なんと中世イギリスからマチルダ姫を現代イギリスに遊びに連れてきてしまいます。ちょっとしたホームステイのノリで過去から人を連れてきてしまう子どもの大胆さがすごい。もちろん、マチルダは、現代の便利さに、驚きや羨望を抱きます。そして、堅苦しい中世のしがらみから解き放たれて、子どもらしい好奇心と遊び心でピーターたちとの暮らしを思う存分楽しみます。しかし、一方でマチルダ姫は自分の生きている時代への誇りと愛情を失わないんですよね。便利で自由だけれども、それはピーターたちの世界であって、自分には自分の生きる世界があり、そこで果たすべき責務がある…彼女は、ノブリス・オブリージュ(貴族の責務)を知っている誇り高い小さな貴婦人なのです。彼女は、自然の風景以外のものがすべて変わってしまった中で、たったひとつ残っていたもの、自分の父親が建てた教会の石に語りかけます。「さようなら、あなたには再び会えるでしょう。」はるか時を越えて、自分たちの時代の物が、後世に残り続けることを確認した彼女は、きっと大きな勇気を与えられて、自分の時代に帰って行ったと思います。
 著者は、一見、相反すると思える事柄のどちらかを否定することなく、それぞれの価値を等価として描き出します。そして、あこがれや夢を持つことと、今、ここに生きる自分に自信を持つことの大切さを読者に語りかけているようです。
わたしは、わたしの時代のなかで、わたしらしく生きていかなければなりません。