園田学園女子大学公開講座文化フォーラム「怪異学の可能性」in園田学園女子大学

 会場へ行く道すがら、強い既視感があったのですが、2005年12月の東雅夫氏の講演会がここでした! 配布の過去の公開セミナーを見ると、毎年怪異学関係で何かしら公開講座をやっていたようでちょっと悔しいです。いやいや、平日全6回講座とかムリだから。
 思うところがあって、会場の男女比をカウントしてみたところ、だいたい1対4でした。そして女性のうち約1/3が(私基準での)若い女性。ここが女子大であることを考えれば、男性陣は多い方とも言えます。公開講座というのはそんなものかもしれませんが、けっこう年配の方が多いことに驚きました。
 講演内容は、今年の春に出版された『怪異学の可能性』で発表された東アジア恠異学会の研究成果を、3人のパネリストがリレー形式で解説するというもの。「妖怪」や「怪異」という言葉が、いつ頃から使われ出したのか、時代においてどのような意味を持っていたのかについて、もっと意識的にならないんといけないんじゃないのという問題意識から、特に古代を扱う際にそれらを「フシギなコト」と言い表してはどうか、という提起をしています。
 この「言葉」のとらえ方というのが、昨今の妖怪研究のトレンドというか手法の大きな潮流なんですね。榎村氏が上記の問題提起をした後、「百鬼夜行絵巻」(真珠庵本)が映し出されて、化野燐氏にバトンが渡りました。化野氏は、オニが夜行するという「フシギなコト」がどのような過程で「妖怪」と呼ばれるようなモノになっていったのかを、柳田國男『妖怪名彙』の成立に焦点を当てて説明しました。この講演者の皆さんはどうにも人が悪くて、説明にわざとフェイクを混ぜて次の講演者に突っ込ませる、ということをやっています。次の京極氏は、化野氏によって「妖怪」のコト→モノ混乱の犯人のように言われた柳田國男を弁護する形でマシンガントークを繰り広げていきました。何度も場内を沸かせていて、しかも最後にちゃんとオチをつけるという見事な「騙り」口でした。
 フリーディスカッションは、「フシギなコト」を怪異や化け物や妖怪と「名付ける」という行為は非常に「上から目線」なんじゃないのという、榎村氏からの面白い発言から始まりました。怪異を認定する(操る?)人は怪異を信じてはいないインテリである。実は水木しげるもそのような英才教育を受けているインテリなんだけど、日本の土俗信仰を隠れ蓑に上手に隠しているんだよ…など。あとは、京極氏による「妖怪と怪談は相性が悪い」という発言で、どちらも好きという私などは、その相性の悪いモノをどのような形で自分の中に持っているのかということを考え込んでしまったり。
 最後は園田学園女子大学への学生さんへのお三方のメッセージで締めくくられました。「フシギなコト」を説明して納得するための装置である「怪異」と、オチを用意して「笑う」機能がある「妖怪」の手法についてよく知ることで、自分の身の回りの物事を冷静に解釈する目を養って欲しいという、非常にうまいまとめ方でした。ちゃんとオチてるのはさすがです。
 『怪異学の可能性』は積ん読状態なので、帰ったら読み始めなくては〜。