ドリアン・グレイの肖像

ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)
 肖像画の方が年を取っていくという現象に、もっと劇的な理由があるのかと思っていました(悪魔と取引するとか…)が、何げなくつぶやいた言葉が現実となってしまっただけだったとは。叶うとは思っても見なかった望みが実現した最初の驚きと、己の偽善を突きつけられた最後の怒りと衝撃のシーンが対照的でした。その間にある、ドリアンの放蕩ぶりは、時代の制約のせいか、いまいち抽象的でやや冗長に感じましたが、ドリアンが悔い改めようとするあたりから、再びおもしろくなってきます。彼が、「善行」と思いこんでいたものが「偽善」に過ぎず、それが肖像画の中にさらなる醜悪さを加えるという痛烈な皮肉。罪と欺瞞を重ねた結果、ついに「善」が何なのかさえ分からなくなってしまったドリアン・グレイは、肖像画にナイフを突き立てるまでもなく、すでに永劫の闇に墜ちてしまっていたのでしょう。
 そして、超現実的な肖像画もさることながら、空疎で退廃的なイギリス上流階級の有り様も、ある意味非常に不気味なものでした。ドリアンを誘惑したヘンリー卿の詭弁には胸が悪くなるばかりです。一貫して傍観者を貫いた彼は、果たして他人を使って手を汚さずに己の美学を完成した悪魔的な人物なのでしょうか。それとも、空疎な言葉を並べるだけで、真実生きることからは疎外されてしまった哀れな敗残者だったのでしょうか。