034ライオンと魔女

ライオンと魔女―ナルニア国ものがたり〈1〉 (岩波少年文庫)

 「巨人ごろごろ八郎太」
 瀬田"馳夫"貞二先生のネーミングセンスが炸裂した箇所で、冗談でなく「ブッ!」と噴き出してしまいました。外出中だったのに…油断した。どうも記憶中枢を刺激されると思ったら、あれだ、「プリごろ太(c)のだめ」に語感が似てませんか。この心優しく礼儀正しい巨人は、その後も何度も登場するので、その都度笑いをこらえるのに必死になってしまいました。しかも「巨人ごろごろ(姓) 八郎太(名)」だと思っていたら、ルーシィが「ごろごろ八郎太さん」と呼びかけるので、「巨人(姓) ごろごろ八郎太(名)」なのかあ、と納得しかけたところに、タムナスさんが「八郎太家の巨人は」などと言い出すものだから、さらに衝撃を受けました。もしかしてE式であらわすと「八郎太(姓) 巨人(名) ごろごろ(字)」なんですか! ワクワクしながら原書を調べてみましたが"Giant Rumblebuffin"で、「ごろごろ」はミドルネームというわけではありませんでした。訳者あとがきを読むと、今後も「泥足にがえもん」等、遺憾なくそのセンスが発揮されるようなので、楽しみです。
 本編の前にごろごろ八郎太さんについて語りすぎです(キャラクターも好きだぜ)。さて、私の貧しいファンタジーのイメージからすると、サンタクロースがフォーンやドリアード、バッカスたちとともに登場するナルニアの世界観は、少々奇異に感じます。妖精や魔物というのは、キリスト教によって追われたものなんじゃなかったっけ、と。それは、たぶん、今まで私が、民俗学や神話学、歴史学などの科学的論理にもとづいて世界観を構築してあるファンタジーを好んで読んできたためではないかと思います。そこではキリスト教的世界観は、土俗の宗教的世界観の中に巧妙に隠されていました。それに比べると、ナルニアでは、旧い神話や伝説の登場人物の前に、サンタクロースが無邪気に登場してきます。でも、子どもの世界ってこうかもしれないなあ、とも思うんですね。サンタクロースが好き、妖精が好き、ライオンが好き、魔女が好き、好きなものはみんな出しちゃえ! という天真爛漫さ。その一方で、物語を構築する枠組みの確かさや、情景や登場人物の魅力を伝える文章の巧みさなど、技術の高さがあります。この二つが両輪となって「ナルニア」という世界を成り立たせているんだなあ、と思いました。
 戦闘シーンよりルーシィとスーザン姉妹の活躍に筆が割かれているとか、子どもたちが直接変化をもたらすというより、変化の時期に象徴的に現れるというある意味王道を外した運びとか(「指輪物語」が宝を獲得しに行くのではなく、捨てに行く物語だったように)、エドマンドにアスランの犠牲についてルーシィたちが話したかどうか作中に書かれないとか、興味深い点がたくさんあります。「ナルニア」は小学校高学年の頃に一度読んだきりで、シリーズ通して読んでないと思うんですが、今回改めて古典の魅力に気がつきました。
「いったい、いまの学校では、何を教えておるのかな。」