電脳コイル

 第24話「メガネを捨てる子どもたち」を見て、『サンタクロースっているんでしょうか?』(1897.8.21ニューヨークサン新聞「社説」に掲載された文章の翻訳)を思い出しました。

「そうです、バージニア。サンタクロースがいるというのは、けっしてうそではありません。この世の中に、愛や、人へのおもいやりや、まごころがあるのと同じように、サンタクロースもたしかにいるのです。」
「サンタクロースがいなければ、人生の苦しみをやわらげてくれる、子どもらしい信頼も、詩も、ロマンスも、なくなってしまうでしょうし、わたしたち人間のあじわうよろこびは、ただ目にみえるもの、手でさわるもの、かんじるものだけになってしまうでしょう」

 「手でさわれるものだけを信じて生きていこう」とつぶやいたヤサコに「ええっ」とびっくりしたのはわたしだけではないと思います。お母さんの言いたいことは、とてもよくわかるし、メガネの子どもたちを見ていたら、心配するのは当然なのですが、それで子どもがああいう結論に達してしまうのは、やるせないです。ヤサコは自問をくり返し、「信じられるもの」を自分で見つけていくのですが、それまでのヤサコのうつろな目がとても痛々しかった。「信じる」というのは、疑って否定して、それでもどうしようもなく心に残るもの、なんですよね。

「サンタクロースをみた人は、いません。けれども、それは、サンタクロースがいないというしょうめいにはならないのです」
12/19追記:翻訳者の出典書き忘れていました。
『サンタクロースっているんでしょうか』中村妙子訳/東逸子絵/偕成社
別の方の訳があるのを偶然見かけて、引用するなら訳者を書かねば、と言うことを思い出しました。