第二十四話「篝野行」

脚本 山田由香
絵コンテ 五十嵐卓哉
演出 成田歳法
原作 『蟲師』5巻「篝野行(かがりのこう)」p157〜

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・地上波の時は、OPもタイトルもなしで、ギンコが野萩の里にやってくるところから始まったのですが、本来は、土井美加さんのナレーションから始まるようです。
・原作では表紙→本体ですが、オンエア版アニメでは、野萩の回想→タイトル→ギンコ登場となっています。野萩の回想シーンでクレジット。
・「BGonly」ってなんだ。室内照明か。
・原作ではワンカットだった草が毒を吐く場面、絵コンテでどんな風に花が開くか動きを解説。アニメならではの醍醐味。ねじれたつぼみが来るくるっとほどけるように開いて、ぽんっと緑色の花粉が出てくる。黄色じゃないので鼻がむずがゆくはなりません。
・台詞の異同 絵コンテ「賭けるなら自分の命だけに…」←原作「賭けるなら自分らの命だけに…」。オンエア版では、原作通り。命を賭けるときに自分だけで済むのと、自分以外の人が入るのでは意味合いが全然違う。その他人も身内である者と、そうでない者の場合は違うわけです。野萩と、野萩と里の者たち、里山全体の命、野萩は自分の命だけで、すべてが救えるなら、きっとそうしたでしょう。この回は、第9話「重い実」と同じく、地縁血縁を持たないギンコと、土地に根付いた者との考え方の差がドラマの肝になっていて重たい回です。
・今回の絵コンテは、登場人物の表情についてコメントが多い。野萩に突っぱねられて説得できないのが歯がゆい表情、とか野萩の決別の表情とか。ただ、できあがってきたアニメは、表情の演技が大げさではないので視聴者の解釈の余地がある。かといって表情に乏しいわけでもないところがうまいなあ。
・長濱チェック。木を伐る村人たちのいる地形をフラットにしない。
・ギンコ、小屋を壊す。オンエア版だと暗くてよく見えない。
・ギンコ、走る走る。「俺じゃ無理なんだ、あんたじゃないと」と思うのは、一人で暮らす気楽さと、根を持たない者の力のなさが両立できないところが伺える。ギンコの限界というか、弱点ですね。蟲に対するカンは天性の強み。
・山を焼く指示を出す野萩。燃え上がる森と太鼓の音。エボシ御前のようです。
・絵コンテ、蔭火に狼狽する村人の顔がレレレのおじさんみたいで噴いた。
・長濱チェック。さらに地形の訂正。野萩がギンコに八つ当たりするところ、ギンコは野萩より一段高いところにいます。
・「俺もあんたの立場だったら同じ事を言えたか分からんよ」の意味が長らく分かりませんでした。「同じ事」というのは、村を守るためにひとりで死に場所を探すことかと思ったので。これは、もし自分が野萩の立場だったら、山に住む多くの命のために、村人の困窮を覚悟しても確実な方法を探すべきだと、主張できたかは分からないという意味ですね。大切な者がいれば、命の重みが変わってくるということをギンコは知っている。でも、それはギンコには得ることのできないものなんだなあ。
・謎の碗。湯に何かもうしわけ程度の具が入ってる。すまし汁か…?
・「ゆっくり治していくんだ 少しずつ 確実にな…」。前半の「確実に抜いていくべきだ どれだけ時間がかかったとしても」と対応しています。言い方がマイルドになっていて、ギンコも今度こそ間違えないように、野萩を説得することができました。
・絵コンテと原作のささやかな異同。オンエア版アニメではすべて原作通り。
 絵コンテ「ならそんな理屈に意味はないわ」←原作「ならそんな理屈意味はないわ」
 絵コンテ「隣の連中の様子も」←原作「隣の連中の様子が」
 絵コンテ「このまま安静にしていればじきよくなるはずよ」←原作「安静にしていればじき治るはずよ」
 絵コンテ「それでほとんど処理できたはずよ」←原作「それでほとんど処分できたはずよ」
 絵コンテ「この先も続いてくんだ」←原作「この先も続くんだ」
 絵コンテ「草を吐きながら腑を灼き」←原作「草を吐き腑を灼き」