第二十三話「錆の鳴く聲」

脚本 桑畑絹子
絵コンテ 山崎理
演出 山崎理
原作 『蟲師』3巻「錆の鳴く聲(さびのなくこえ)」p3〜

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 ふたたび、男前の長髪ギンコ登場。第18話「山抱く衣」と同じ絵コンテさんです。アニメ公式サイトでは、第18話の絵コンテは「南町奉行所」となっているので、あれ? と思って調べました。山崎理氏が社長をしているアニメーション制作会社の名前だったんですね。今回も、お話の舞台の考証を丁寧にしています。「※あれだけ雪が降っていたことを考えると日本海側だと思いますが、海側に陽が昇っているようなので、現石川県能登半島あたりでしょうか?それとも岩手や山形あたりの東北の太平洋岸ですかね。どちらにしても、海は東の海と考えた方がよさそうです」。
 今回は、感染症のホストにどう対処するか…とか、村八分とか、そういうお話。私は、BS放映6話分は、何らかのタブーに触れるのだと勝手に憶測しているのですが、「錆の鳴く声」はなんのタブーなのか、よく分かりません。肢体不自由の人が出てくるから? 町にあれだけ身体の不自由な人がいれば、ずいぶん貧しい町のはずですが、テツの出稼ぎを受け入れているところをみると、余裕があるのかも。
 舞台設定や、社会的文化的な設定など、漆原さんもそこまで考えていないのかもしれません。でも、『蟲師』に描かれる世界は、漆原さんの内面に深く根付いたものから生まれているから、少々つじつまが合わなくても、とても身近で真実の世界のように感じられるのだと思います。先日行った上橋菜穂子さんの講演会で、『指輪物語』はつじつまの合わないところがたくさんあるけれど、描かれる世界はとてもリアルで、手触りすら感じられるというお話がありました。上橋さんの描く世界も、土の匂いのする現実感のある世界です。その上橋さんが、お薦めの漫画に『蟲師』をあげていました。そういうところで、つながっているんだなあ、と思います。

 しげは、現在14歳で、声を出さなくなったのは、十年前の4歳の時から。「錆の鳴く声」をアニメ化するに当たり、最大の関心事はしげの声でしょう。「太くかすれたけれど甘く渋みのある残響を持つ不可思議な響きの声」で、漆原さんはUAの声をイメージしたとあとがきで書いていますが、その歌手を知らないので何とも。イメージよりもちょっと高い声だと思いました。甘さが足りないのかしら。

 原作・絵コンテで「うちだって そうだ」の台詞が、オンエア版「うちも そうだ」に変わっていました。
 他に、原作と絵コンテの台詞の違いがあって、原作「また旦那様に呼ばれた医家の人かい」→絵コンテ・テレビオンエア版「また旦那様に呼ばれた医者の人かい」になってます。絵コンテには、「医者」で、とわざわざ直しが入っているので、気になって原作を確認してみました。「医者」が4例、「医家」が3例です(8巻は布教の旅に出ているので手元になし)。使用例を見ると、原作では「代々医者をしている家系の人」という意味で使われているようです。アニメ化されている2例は、どちらもオンエア版では「医者」と言い換えられていました。「いか」は、辞書にも古い言い方とあり、意味がとりにくいので「医者」に統一してあるようです。
 「麓の町のお医者方は首をひねるばかりで」(「柔らかい角」)
 「医者にはさじを投げられました…」(「綿胞子」)
 「お医者にも方々見せて回りましたが」(「一夜橋」)
 「医者にも蟲師にも治せねぇ病さ」(「鏡が淵」)

 「医家ってのは役得だな」(「旅をする沼」)→「医者」
 「また旦那様に呼ばれた医家の人かい」(「錆の鳴く声」)→「医者」
 「あなたは医家では?」(「花惑い」)