上海アニメーションの奇跡

 まさに「奇跡」。存在そのものも、わたしが映画館でこの作品群を見ることができたことも。世の中には奇特な映画館がまだ残っているのだなあ。

 1960年から1980年代にかけて上海で作られた20分程度の短いアニメーションを5本続けて上映するというもので、配給期限切れのため日本での上映はこれが最後です。
 それは、セピア色の白くかすんだ実写から始まる。民族衣装を着た若い男女が公園に入っていく。公園には「蝴蝶泉」という石碑が建っている。カメラは下がっていって、キラキラと光を散らす水面を映し出す。画面いっぱいに細かくゆれる水面は、やがてひらひらと飛び交う無数の蝶に変わっていく…実写からアニメーションへのこんなに見事な転換は見たことがありません。

 日本のセル画アニメーションとは全く違う、切り絵や水墨画がそのまま動くという見たことのない映像に釘付けになりました。話自体は、複雑でも派手でもないのですが、動物の自然で愛らしい動き、映像と完全にシンクロした音楽、余白を残した叙情的な風景に、アニメーションの豊かな可能性が見えます。このアニメーションには「声」がないのです。音楽と効果音のみで構成され、5編にわたって人間は一度しか声を発しません。それがこの作品群をそのまま世界水準にしてしまっているのです。音楽も素晴らしい。「琴と少年」で、去っていく恩師の跡を追い、思い出とともに山野を満たす琴の音の、なんと嫋々と胸に響くことか。

 極上の絵本が目の前で繰られているような感覚を覚えました。アニメーションにはアニメーションにしか魅せ得ないものがある。どんな表現でもそうですが、あきらめない限り可能性は無限にあるのだと信じられます。