第二十六話「草を踏む音」

脚本 桑畑絹子
絵コンテ 長濱博史
演出 そ〜とめこういちろう 長濱博史
原作 『蟲師』4巻「草を踏む音(くさをふむおと)」p187〜

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 主人公のギンコはほとんど出てこなくて、光脈や蟲と深く関わりながらも、「生命が異なってある世界」を知らずに生きている普通の少年のお話。蟲師以外に、蟲や光脈を生業として流浪するワタリという集団が出てきて、この世界の深さをうかがわせる話でもあります。しかも、ギンコの過去まで分かってしまうという…第一期(希望)を締めくくるのに、これ以上ふさわしい話はなかったと思います。
 絵コンテは長濱監督で、原作からの切り貼りが多いです。台詞はほぼ原作通り。ギンコの登場シーンには、「笑顔で登場!」と相変わらずのハイテンション(笑)。

 イサザは、世間知はあるけれど、嫌みのないさっぱりした気性のいい子ですよね。原作でも絵コンテでも、沢を笑うイサザの声は「げたげたげた」になってますが、さすがにそのまま声をあてると変なので、アニメオンエア版では、少年らしい声になってます。嘲笑じゃなくて、してやったりというような明るい楽しげな笑い声。イサザの性格を表すシーンがもう一つあって、「ありがとう」に「キチンという!」と絵コンテで強調してあります。流浪の民ですが、無頼の輩ではなくて、彼らなりのおきてを持って世を渡っているということを見せたかったのだと思います。山主の子だという沢の言葉を勘違いしたり、ヌシを見たという沢を羨ましがったりして、ワタリ独自の信仰とか暮らしぶりとかが察せられるところも好き。「里の普通が分からない」と言ってるところを見ると、コダマみたいに光脈の影響で生まれすぎて山に捨てられたような子どもだったのかな。「のんきで羨ましい」という沢の台詞を複雑そうな表情で聞いてるところが切ないです。
 沢は、地主の息子らしくちょっと傲慢で鈍いところがありますけど、父の死と故郷の荒廃で鍛えられたのか、父親によく似た落ち着いた雰囲気の大人になりました。絵コンテでは、「その日を境に山の霧が色づく事はなくなった」は子供の声でと指示がありますが、アニメオンエア版では大人の沢の声です。回想シーンだから、大人の声の方があってます。沢にギンコの来訪を告げに来た女性は、奥さんだそう。「これでいい」という吹っ切れたような笑顔に、日常を生きる「普通の人」のしたたかさ、たくましさを感じました。ところで、沢の父親の死は、病死ではなくて事故死ですよね。まだ若いんだし、病弱そうには見えなかったから、山を見回ってて足を滑らせたりしたのかなあ。

 原作を読んだときから引っかかってたことがあります。それは、光脈の移動と、滝をせき止める決定に関係があるのか、ということ。光脈に異変が出たのは、沢が父親の死の報せを受け取った以後。その後の話し合いで実権を親類に取り上げられたとは言っても、イサザの訪問まで十日もたってないと思います。その短い間に、滝をせき止める決定がされたとは思えません。いずれそうなるにしても、山主の葬式や遺産の管理などの話し合いが先のはずですから。滝をせき止めたあとで、バランスが崩れて光脈が流れを変えることはあるでしょうけれど、個人の死や人間の話し合い程度で変わるようなものではないと思うんですよね。たまたま、時期が重なったのかなあ。あ! 今怖いこと思いついてしまった。…ギンコのせいだったりして?「そのうちあいつか光脈に障りが出る」と言ってましたけど、思ってたよりギンコの蟲寄せ体質が強力だったとか。しかし、行く先々でそうしょっちゅう光脈の流れを変えてたんじゃ、ギンコもやってけないだろうしなあ。どうなんでしょう?

 年齢のこと。沢は12歳くらい。下女のふみは30歳過ぎ。沢の父は35歳。ワタリに拾われた少年ギンコは12歳くらい。ここまでは絵コンテに描いてました。出会った頃のイサザは沢よりちょっと年上な感じで、14歳くらいかなあ。