第二十二話「沖つ宮」

脚本 桑畑絹子
絵コンテ よこた和
演出 よこた和
原作 『蟲師』5巻「沖つ宮(おきつみや)」p3〜

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 安楽死とクローン。「死」と「個」のお話。
 母を海に沈めるシーン、澪の泣き声に、マナを海に投げ込んだ音がかぶっているそうですが、…聞こえるかな? う〜ん、とても遠くの音みたいに、かすかに入っているかも。人を殺したときの音が、あからさまに聞こえないところが、怖いような、切ないような。原作を読んだときから、いろいろと釈然としない話でした。この話が、嫌いなのではなくて、むしろこういうSF的なテーマにとても惹かれているからです。「そのひと」を「そのひと」たらしめているのは、なんだろう、とか、身体的に同一なら、周囲のひとは「そのひと」と認識できるものなんだろうか、とか。萩尾望都『 A-A’』などを思い出しました。
 それにしても、粒を飲めば、その1ヶ月間に、海に沈めた者と同じ姿の子を生むというなら、ひと月の間に複数の人が沈められていた場合どうなるのでしょうか。望んだのとは違う人を生んだ日には、えらいことだと思うのですが。それに、ギンコは「様々な生物の胚」と言っていたから、人間ですらないかもしれない。う〜ん、胎を借りた人物と遺伝的に近しい胚を選択する、と考えれば解決できるかな。妊娠は大変なことだから、おいそれと赤の他人には頼めないだろうし、経験上近親者がいいと島の人は知っているのかもしれません。
 ギンコたちを海に引き込んだ蟲の触手は、ものすごい巨大なモノの一部だそうです。小さなたくさんの生き物だと思っていたので、ちょっと意外でした。
 それにしても、クローンて、性格や癖まで似てくるのか、不思議です。母親の「記憶」まで戻ってきそうに感じた澪の恐怖は、じんわりとした怖さがありました。なので、最初「母さんを生んであげるんだ」と言っていたイサナが、「母さんのまま死んでしまうほうが まだいい」という心境に変化したところは、ほっとします。澪の嬉しそうな顔ったら。

 絵コンテに、澪の母親が亡くなったのは、澪が19歳の時。夫が死んだのは、イサナの生まれる2年前。とありますので、澪は17,8歳で嫁いで、すぐに夫と死別し、20歳くらいでイサナを生んだんですね。イサナは10歳くらいかなあ。でも、島暮らしの子は、しっかりしているだろうから、7,8歳くらいかも。いや、澪はギンコよりやや年下に見えたので。
 イサナが、ギンコに懐いている様子が、とても可愛いです。イサナが「母さんのところに生まれて幸せ」と言って、くるりと振り向き、にっこり笑うシーンは原作にはありません。わざわざ(※あまりアニメっぽくならないよう注意!)と書いても、なお追加したかったのは、イサナのはつらつとした明るさを表現したかったのだと思います。こないだ読んだ『ムーミンパパの手帖』という本に、自然人で自由人たるスナフキンは、知らず動物や子どもに懐かれている、ということが書かれていて、ギンコのことを思い出しました。

 満月が細かく波打っていますが、絵コンテによると、望遠鏡っぽい大気の揺らぎを表現しているそうです。どうしてこういう表現にしたのか、聞いてみたいなあ。ムックの長濱監督への質問は、もう締め切られちゃったのかしら。
 監督と言えば、絵コンテで、波打ち際を見せないことにやたらとこだわっています。島の断面図まで書いてある。背景の空間的、時間的統一感まで配慮している細かさが、ここでも伺えます。