第十九話「天辺の糸」

脚本 伊丹あき
絵コンテ 大地丙太郎
演出 井之川慎太郎
原作 『蟲師』6巻「天辺の糸(てんぺんのいと)」p3〜

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 この絵コンテさんは、書き慣れていない人なのか、絵は荒いし、構図が単純です。人物の顔が正面ばかりですし、複数の人間がいるところは、たいてい真横から見た図になってしまっているので、長濱監督から構図の訂正を多く書き加えていました。でも、この絵コンテさんが言葉少なに書き加えてある、登場人物の表情の解釈には、はっとさせられます。とても深く読み込んだことが伺えました。
 たとえば、ギンコが再び清志朗を訪れたところに「強く責めるのではなく…失望的に」とあります。見えない清志朗が、吹の存在を認めることが難しいことはギンコには分かっていたはずです。そして、それが清志朗のせいではないことも理解していた。「緑の座」で「見たことのないものと、その世界を分かち合うのは難しい」と言っていますから。それでもギンコを「羨ましい」と言った清志朗ならと思っていたので「やっぱりだめだったか」という失望を感じたのでしょう。続けてあきらめずに「あんたしかいない」とさらに言葉を重ねるところは、とてもギンコらしいですけれど。きっと今までいくつも受入れられなかった例を見てきたギンコは、清志朗と吹の婚礼は嬉しかったでしょうね。…どうもこの時から、お父さんは席にいないようですし、地主の息子らしい清志朗が村の外れで畑仕事をしているところを見ると、最低限のものをもらって勘当されているような感じです。
 清志朗が、見えなくても星はずっと空にあるという吹の言葉を思い出して手を伸ばすシーンにも、「なにかをさとったようなまっすぐなかんじで」とあり、仕草のひとつひとつにもその時の登場人物の心情が現れていることが分かりました。
 絵コンテには、清志朗が吹と出会ったのは四年前の夏と書かれています。私の祖母は13歳で大阪に子守奉公に出たと言っていましたから、吹もそのくらいかなあ(にしては、今とあんまり変わってないですけれど(笑)吹は童顔ですね)。天辺草にひっかかったのは17歳くらい? 清志朗坊ちゃんは現在22、3歳くらいかなあ。農村の適齢期ってそのくらいだったかな。ギンコが、前ボタンをあけているので、季節は初夏のようです。半袖シャツも持っているのに、長袖のところを見ると盛夏ではないと思います。山歩きするので、よほど暑くならないと長袖着てるんですかね。あんな薄着で野宿しているところから見ても、星が綺麗なところから見ても、7月七夕のイメージです。
 原作読んだときから分からなかったのが、吹がいついなくなったのかです。町の人たちの目の前で風に飛ばされたのなら、もっと大騒ぎになりそうですが。清志朗は吹を人目に触れさせないように、家に縄つけて閉じこめておいたからそのまま消えてしまったのが自然かな、と思うのですが、このあたりの流れはアニメを見てもよく分かりませんでした。アニメを見て腑に落ちたのが、ギンコの薬を飲んで吹の髪が逆立つところ。漫画らしい誇張だとは思うのですが、後半、どんどん身体が軽くなる吹は、髪の毛もふわふわと風になびいて浮き上がっているので、まるっきり蟲の影響下にあったこの時に、髪の毛が逆立っちゃうのはありなんだな、と納得。
 絵コンテ「しっぽ」→オンエア版「尾っぽ」、絵コンテ「光ったり消えたりしながらくねくね動いてた…」→オンエア版「光ったり消えたりしながらくねくねと…」と、いくつか絵コンテで原作と違っていた箇所はオンエア版では原作と同じに直っています。ルビのなかった「光の河なら空にもある」も、原作と同じように「ひかりのかわならうえにもある」と言っていましたし。

 ところで、私は天の川と光脈が反転した絵がとても好きです。アニメ「蟲師」屈指の美しい映像だと思っています。