下町の迷宮、昭和の幻

下町の迷宮、昭和の幻

下町の迷宮、昭和の幻

 読了後、思わず著者名にまじまじと見入ってしまった。
 倉阪鬼一郎は2000年以降、作中に蔓延する狂気についていけず、作品を読むのをやめていた。このままカルト作家の道を突き進むのだと思っていたのが、いつの間にこんな普通の大人が読める作品が描けるようになっていたのだろう。
 以前は、登場人物は死亡するか狂気に陥るというワンパターンなオチしかなかったのに、この短編集では、ほのかに希望のみえるものや、主人公が再生する話も混ぜられている。ひとつひとつの短編に違った味付けがほどこされ、それがうまく配列されているから、続けて読んでも飽きない。昨今はやりの「懐かしの昭和」を詩情豊かにセピア色に描き出しつつ、お得意の人間の狂気や闇に息づく異形のものを滑り込ませており、作者の持ち味と題材とが均衡している。以前は持ち味が強烈すぎて、食傷したものでしたが…。

 異国の少女と歴史的大事故の犠牲者とがかすかな縁でつながる「無窮の花」と、淫靡な雰囲気と老夫婦の情愛とが絶妙のバランスで相対しあっていた「紙人形の春」が特によかった。以前の著者なら悲惨な結末を用意していたと思われる「まどおり」のラストもうまい。